肝試し編


「そう言えば知っているか?」
 何の前振りもなく向坂雄二はその言葉を口に出した。
 夏休みも終盤を迎え、あっという間に九月に入る。不健康に冷房をがんがんに効かせ、夏らしくない夏休みを終えようとしている。
 高校二年の何もないような昼の事だった。
 当然、貴明は、
「なにがだ?」
 と困惑気味に返すしかできなかった。
「幽霊部員の事だよ。けっこう有名なんだぜ」
「そうなのか」
 貴明にとっては初耳のことだった。
「そうなのかって、お前」
「知らないものは知らないからな。で、どういう事なんだ」
「そもそも幽霊部員と言うのは、部活に参加しないサボってる部員のことだろう?」
 そうだな、と適当な相づちを打つ。
「そうじゃなくて本物の幽霊部員なんだよ」
「は?」
(本物の幽霊部員…?)
 一瞬、思考回路が止まる。
「だから、幽霊が部員なんだよ。うちにオカルト研があるだろ、そこに出るらしい」
「マジかよ」
「あぁ、なんでもオカ研の奴が本物の幽霊部員が欲しくなったかららしいが、細かくは知らない」
「オカ研…そういえば廃部になったとか聞いたな」
 パンフレットにそんなことが書いてあった…ような気がする。と二人は今更になって思い出した。
「で、まだ部活に居たいのか部員が残っているんだとよ。だからさ、どうだ?」
 少し間を開けて貴明に聞いた。
「確かめないか、本当にいるかどうか」
 俺たちでか? と貴明は思った。
「何を確かめるのかしら、雄二? それにタカ坊?」
 そしてちょうど反論しようとしたところに雄二の姉、つまり向坂環ことタマ姉がノックも無しに入ってきた。
「なに、内緒話か何かなの? お姉さんに話してごらんなさい」
 背後から声がする。
 なぜだろう、恐ろしくて後ろを振り返れない――。
「正直になさい、二人とも地獄は見たくないのでしょう」
(どうする…)
(どうするって、貴明なんか考えろよ)
 必死にアイコンタクトのみで貴明と雄二は会話を続ける。
(話しちゃうか)
(そうだな、話しちゃえ)
「その沈黙は放送事故か何かかしら…困ったわね…叩いて直すしかなさそうね」
 やばい、冷たい笑顔が迫ってくる。
 その表情は二人からでは死角になっていて見えてないが、直感と経験でその光景が視えていた。
 勿論、直接見えていないので、叩くのならぐーなのに、何故に爪のように手をぱーのように大きく広げているのだろう? などどいう突っ込みができる訳もなく…



学校 裏門

 あの惨劇から数時間、タマ姉の誘いを受けたこのみと愉快な仲間達4人は夜の学校に着いた。
 微妙に風が冷たくなり、夏から春に逆戻りしたような温度となっていた。
 空を流れる雲は速く、時折大きな紅い月を隠している。
「さて、メンツも揃ったことだし、いざ参ろうか」
「えへー夜の学校来るの初めてなんだよねー」
 そして比較的部室の多い裏門の方に回った。
「しっかし、本当にいるのか。その幽霊部員とやらは」
「さぁな、とにもかくにも入らないと始まらないのは確かだ」
「合い鍵でも用意してきたんでしょうね?」
 当然の疑問に気づいた。
 まして泥棒のように硝子を割る訳にもいかない。
「はは…すっかり忘れていた。貴明っ、お前のポケットから出してくれ」
「そんなもん、入っているか! ドアもフラフープも無いぞ」
 そんな中、このみがドアに手をかける。
「あれ、空いているよ〜」
 かちゃ、とすんなりと扉は開いた。どうやら鍵がかかっていないようだ。
 校舎には明かりの類は見当たらないので、4人は守衛のかけ忘れだろう、ということにしておいた。誰かが…そう幽霊とかがいるとはあまり考えたくはなく、まして口に出したくもなかった。
 叢雲で月の光は頼りなく、雄二は鍵は忘れたが持ってきた懐中電灯を点けた。



校舎内 東非常口に向かう廊下


「ねぇ、タカちゃん」
 なんだ、と貴明は振り返った。
「この学校の七不思議って何があるの?」
「そう言えば、聞いたこと無いわねぇ…寺女にもあるのかしら」
 前を進む明かりの持ち主が待ってましたとばかりに後ろを向いた。
「ははー、お前たち馬鹿だなあ、仕方ない、教えてやろう」
 LEDは明るいんだぞう、と自慢する電灯を向けながら雄二は話し出した。
「ひとーつ、音樂室。良く聞く話で陳腐だが、どうやら動く肖像画と騒霊、つまりポルターガイストだな。があるそうだ。」
 こくこく、と肯く3人。
「ふたーつ、化学準備室。生体模型が夜な夜な面白実験しているんだって」
「みーっつ、体育館。開かずの地下室があるって噂だ」
「よーっつ、校長室。意外にホラースポットみたいだぜ。そこに何があるのか知られていない」
「いつーつ、裏庭の神社があるだろう。そこに何万年も生きている亀がいるらしくしかも空を飛ぶそうだ。あまり怖くはないな」
 不意に生温かい風が流れた。
「むーっつ、美術室。音楽室とあまり変わらないが、肖像画同士が互いを描きあってるんだって、可笑しな話だ」
「ななーつ、部室通り。今回の本命だ。幽霊部員が遊んでいるらしく、実際に見た奴も多い。一番信憑性がある」
 神妙に聞き入っている3人。
「さて、じゃあ体育館から行ってみるか」
 ずんずんと先を急ぐ雄二。
「ん…これは一体……梅の香りか……?」
 確かに、かすかに梅の花の匂いが感じられた。
 しかし、今は夏。
 梅の咲く時期ではない。
 かといって芳香剤でもない。
 結局、貴明は季節外れの匂いの元を見つけられず、腑に落ちないまま3人のあとを歩いていった。



学校内 体育館


「ここも鍵が開いているね。どうしてかな?」
 途中、職員室に寄って鍵を借りようとしたのだが、そこは流石にきちんと鍵がかけられていた。しかし、体育館の入り口は、やはり開いていた。
「それは、日頃の行いがいいからよ。このみは良い子だからね」
 なでなでと、このみの頭を撫でている。探す気はさらさら無いようだ。
「えへ〜褒められたぁ」
 そして男共はどうしているかというと、
「さて雄二、隠し階段は玉座の後ろと相場が決まってるんだが、玉座がないぞ」
「そう言うときはだな、宝箱をもう一度調べるんだ。っておいっ! 」
 …こちらもそんなに探し当てようという気はない。かと思ったら、
「もしかしたら、いやオカルト研究会のあたりにあってもおかしくないのかもな」
 と貴明はそんな考えに思い当たった。
 そして4人は(程度の差はあれど)幽かな恐怖と希望を持ち、その部屋の前にいる。
「何か、聞こえないか、声みたいなのが…」
 タマねえがノブを握る。
「ん、それと物音もするわね。……鍵はかかってないようだし開けるわよ」
 ごくり、と生唾を飲みこむ音が反響する。
「おはこんばんにちはー」
 そんな声とともに現れたのは花梨だった。
「あれ貴明、奇遇だね。UMOにようやく目覚めたのかなぁ?」
 きゃはと笑顔で近づいてくる花梨。
 それを無視するようにそんなわけないだろう、と貴明は心の中でつぶやいた。
 どうしてこうも俺の周りには我が強い…いや、人の話を聞こうとしない女性がこうも多いのだ。
「なんだ、花梨だったのか。驚かすなよ」
 しかし、そんなことを口にすることもできるわけもなく、
「そういえば、ここって地下室があるらしいんだが知っているか?」
「タマゴサンド」
「は?」
 タマゴサンドが地下室にあるはずない。
 手持ちにもない。
「タマゴサンド分が無くなったの、今すぐ持ってきなさい、そうすれば教えてあげる」
 相変わらず、無茶を言う。ちなみにこういうことで教えてもらったことは一度もない。
 ふと雄二の方を見ると…いない。
「雄二? すごい速さで走っていったわよ」
「まぁ、いいや勝手に探させてもらうぞ。このみは右側から、タマ姉は左側から、俺はここから何かないか探してみる」
「わかったよ、タカちゃん」
「しょうがないわね、地下室への扉。わくわくしてきたじゃない」
「地下室の扉? なんなの?」
 花梨がしつこく聞いて来た。
「なんだ、オカ研にいるのに知らないのか。七不思議だよ」
 自分のことはすっかり棚に上げている。
 数時間前まで雄二以外はみんな知らないことだったのだが。
「確かにここには地下室があるけど、そんな大層なものじゃないよ。ほら」
 言って、入り口にあるパネルのキーを花梨は叩いた。
「このみ、タマ姉、見つかったぞ」
「笹森さん、買ってきました!」 
 タマ姉とこのみがせり上がってくる床を見ていると、いつの間にか雄二が帰ってきていた。
 そしてなぜか、両手にはコンビニの袋が。
「20個買ってきたけれど、足りないかな」
 と、雄二は全てタマゴサンドの入った袋を花梨に渡した。
 この短時間にコンビニエンスストアに買いに行っていたのだろう。なぜこういうときだけこんなにも行動が速いのだろうと、貴明は感心していた。
「すごぉい、向坂君ありがとー」
「いえ、何のこれしき。それと雄二と呼んでください。その呼び方は凶暴な人も入ってしまいますから」
「誰が、凶暴ですって? 雄二?」
 閃光と見間違うほどの速度で繰り出された拳は、正確無比に罪人の頭へと向かう。
 避けることすらままならない。
 例えるなら、そう技の発動と共に命中することが約束される、必殺の槍のよう。
「あががg、ggag、」
 ミリ…ギシギシ。
 即刻、鉄の爪の餌食になった。もはや其れは必然―。
 花も恥じらう乙女に向かって凶暴などど言う、言葉を顕在化させた罪であり、責務としてある種の償いとも言える。
「うひゃ〜痛そうだね〜〜」
 場違いなように花梨の暢気な声が聞こえる。
 痛い、等では済まない。
 さながらラチェット機構を持つ万力にじわり、じわりと確実に締められるそんな感覚。
 雄二の頭蓋骨はこれ以上は耐えられないと悲鳴を上げる。
タマ姉、扉が開いたから下に降りないか?」
「そうね。それじゃあ、行きましょうか」
「タカちゃん、雄二君、大丈夫かなぁ…」
「大丈夫だ、少しすれば回復するし、タマ姉だって、」
 貴明は、悪魔じゃないんだからと言うセリフを済んでのところで飲みこんだ。
「天使の慈悲を持っているのだから」
「そうだねタマ姉優しいもん、でも地下室はどうなっているのかな?」



学校内 体育館地下


 ざわざわと言うのが近いのか、遠いのか。
 そこには先客が居た。
「タカ坊、なんで天道虫が居るの?」
 環の疑問はその場にいる全員の疑問でもあった。
 それは陽も届かない地下に、テントウムシが、土に植わった菜の花がこんなにも棲息しているのだろう。と。
「嘘だ〜、私が入ったときは何もなかったよ」
 震える声で、花梨が現実を否定する。
 ……ならば、これは、何だ? 
 今、目の前に存在する光景は、この現実感に溢れている花の匂いも嘘だと、そう言うのか?
「何もなかった……でも今、ここは……春になっている…?」
 貴明は疑問に答えられなかった。
「花梨ちゃんだっけ? あなたがここに入ったのはいつかしら?」 
 細かく震えながらも、タマ姉は落ち着いて状況を見極めようとしている。このみはただ呆然と花を見ている。
「オカ研を作って、ここに基地にしてからすぐだから、そんなに前じゃない」
「そう…とりあえず、ここを出ましょう。タカ坊」
「このみ、ほら行くぞ」
「待って〜、もう少しでナナホシが飛びそうなの〜」
 …撤回。じっくりテントウムシ鑑賞をしていたようだ。
「お、お帰りのようだな、で、何があったんだ?」
「なかったのがあった」
「陽のない地下に菜の花があったわ」
「てんとう虫がいたよ、可愛かった」
「???」
 てんでバラバラの答えに雄二は混乱した。
「一言で言うと、春があった」
 そんな貴明の言葉にさらに雄二は混乱したが、他3人は納得した。



ーー幕間ーー
ある晴れた日。


少女達が櫻の木の下で遊んでいる。


薄い桃色の花びらに囲まれ駆ける。

いつ終わるとも知れない柔和な時間。


終焉を知らない穏やかな時。


永遠に続くと少女達は信じている。


否、当たり前と思うしかできない。

[Spring Has Come. End]



 校舎内 音樂室へと向かう廊下 


「さぁて、タマゴサンド分も補給できたし、先を急ごうー」
 二つのライトが先を照らす。
「それにしても、春があったって、どういう事なんだ、貴明?」
「さぁ、ただ、半年前に何も無かった場所に、菜の花が咲いていた」
 ただそこで五感を通して視た事実を雄二に話した。
テントウムシもかわいかったよ。もうちょっと居たかったなぁ〜」
 少し、根本的なことに雄二は気がついた。
「笹本さんは、」
「花梨でいいよ」
「じゃ、花梨はどうしてここに居るんだい? 俺たちは肝試しているんだが」
 一呼吸おいて、花梨は答えた。前を見据えたまま、後ろを向かずに。
「私? 私は…捜し物をしていたの。…それにオカ研が動くなら、昼間より夜の方が遙かに格好が良いじゃない?」
 なんとも花梨らしい。と貴明は思った。
 次は、音樂室になりそうだ――。
 校舎内 音樂室
 意外にも、何の音も聞こえない。
 カチッコチッ、という秒針の規則正しい音が微かに解る。
「この調子だと騒霊が成りを潜めているのかもな、ははっ」
 なんていう雄二の冗談は少しも笑いを誘えなかった。
「まただ、ここも開いている…」
 途中にある教室は調べた。今のところ全て鍵かかっていて、動きこそすれ、扉を開けるまでには至らなかった。
 しかし、今まで通ってきた廊下もそうだし、体育館も鍵がかけられていなかった。
 つまり誰かが故意に鍵を開けている。そしてそいつは七不思議のことを知っていて、その上、その場所の合い鍵を持っている……と貴明は思い始めた。
 守衛の鍵かけ忘れというのは、考えにくい。
 それ以外にもなにか、無関係な場所に行かないようにするような、作為的なものを感じ始めた。
「ねね、どうするの? 入らないの? 開けちゃうよ」
 ドアノブを握ったまま動かない貴明を花梨が急かす。
「いや、入ろう。せっかくの肝試しなのだし」
 その言葉は苦し紛れにしか聞こえなかった。
 キィィ…。
 ぐねり、と軋む。
 木の擦れ合う音であるのに。別の呼び鈴のようにも聞こえた。
「左から、二番目の絵なんだが。みんなどうだ?」 
 明かりを絵にあてながら雄二が聞いてきた
「そうね、動いているのは判らないわ」
「眼が動くって言うよね〜〜本当かな?」
 と、タマ姉とこのみが言ったとき、
「るー!??」
 聞き覚えのある声がした。
るーこじゃないか、どうしたんだ?」
「るーはここにいたいから、いるの。貴明は?」
 他のみんなは突然の声に驚いている。
「肝試しをしているんだ。るーは?」
 なにやら尋問のようになってしまっていると、貴明は感じた。
「る? るーはみんなと遊んでいるの、ちょうちょがいっぱいいるんだよ」
「え?」
 よくよく目をこらすと確かにいる。
 赤と青の二色の蝶が。百とも二百ともしれない。
「綺麗ね…まるで夢を見てるみたい」
 うっとりとした表情でタマ姉は譫言のように呟いた。
 他のみんなもだいたい似通っている。
 呆と、蝶は舞っているであろう虚空を見つめている。
 それは自ら光を放ち、ふよふよと浮かんでいるようにも見える。
「ちょうちょさんたち、物知りでいろいろ話してくれるし、しりとり強いんだよ」
 話す…喋るということ!?
「え…まさかとは思うが、これ全部人魂?」
 何となく、光を見たときに貴明はそう感じていた。
 そして話す事を聞いたので蝶の形を取った人魂ではないのかと思った。
 その言葉に反応したのか、強烈な光を放ち、ざわっ、と蝶がこちらを向いた。
 光る蝶が、一匹の狂いもなく貴明を見た。
 幻とするには、あの視線の力は異様な現実感を帯びていた。
 貴明は、すぐにここを離れようと足を動かした。そして蝶の姿はもう見えなかった。



 校舎内 西階段


 音樂室を出たあと、花梨とるーとは別れた。
 家に帰るらしい。
「おい、貴明何だったんだよ」
「わかんねーよ! ただ急に消えちまった…」
 人魂であることは伏せておいた。
「残念ね…もうちょっと見ていたかったのに」
タマ姉に賛成〜すんごく綺麗だったよね〜」
 図書室の前を通り過ぎようとしたら、ふたりの人影が見えた。



 校舎内 図書室前


「あれ、貴明さんじゃないですか。こんばんは、もしかして肝試しですか?」
 確かに夜の学校にいるのなんて、妖怪退治か肝試しかのどちらかだ。
「奇遇ねぇ、まさか同じ事を同じ日に思いつくなんて」
 いいんちょこと小牧愛佳と長瀬のお嬢さまであらせられる十波由真の御両人。
「そっちも…七不思議を追っているのか」
 別に争って学校を巡っている訳ではないので一緒に行動することにした。
「あれれ、神社裏じゃなくて図書室だって私は訊きましたけれど…?」
 お互いの七不思議でちょっとした相違があったが、噂なんて所詮そんなものだろう。
「さぁて、部室通りに行ってみましょうか、時間も良い具合だし」
 そんなタマ姉の提案にみんなは肯いた。
 時は、丁夜。草も木も眠りにつく頃になっていた。
 相変わらず風は生温かく、月は少し動いたが大きく紅いままだった。


ーー幕間ーー
ある晴れた夏の遠い日。


夜の帳に虫が啼くように、少女も泣いていた。


小さな誰も聞きとれない声。


いつまでも続く退屈な時間。


いつまでも続く常春の陽気。


永遠に続いて欲しくないと、少女は願う。


「どうして私はここにいるの?」

[Spring Had go. End]